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男たちは漁師。
彼らが釣るのは鰹だけ。
3月初旬、初漁にでたこの船には総勢15人が乗り組み、太平洋遙か土佐沖で上り鰹の大群に遭遇していた。
船べりの片側一列に並び、カブラを海面へ叩き込めば、弾丸のように鰹が船上を飛び交う。
海面にはエサを追う鰹の目が光る。しなる竿の先。銀色に踊って食らいつき、甲板のカンコ(生簀)へ一直線に滑り落ち、その息でマイナス2度の凍れる鰹となる・・・・・
目にもとまらぬその技は、魚体にキズはつけない。
ただ、身体と交差するように走っていた腹の縞が、目の前で魚体に平行する見慣れた長い縞に変化してゆくのがわかる。 群が通りすぎると船は追い。また漁が再開される。
こうして山場が終わった後の食事は、当然獲物と決まっている。
今しがたまでせっせと釣っていたコック長が、いつのまにか賄いの仕事にせいを出す。丸一匹を料る(料理する)宴はたべ放題。先ほど釣れたばかりで醤油がはじけるような切り身や、薬味にとっぷり漬け込んだタタキ。いずれもきりりとしまって初夏の香りがする。
タタキはもともと船の上で漁師が作り出したのもらしい。
船上のタタキは、最初は火であぶり、塩をたたきつけるだけのもののだったそうだ。塩をまぶして手でたたいて生臭みを抜き身を引き締める一石二鳥の即席漁師料理といわれてみれば・・・・なるほど、さもありなん。

海への感謝と畏敬をこめて、日々の漁でとれた 鰹の切り身を船の神棚へ供える。 そして、その年の初漁があったとき、必ずお供えして航海の無事を祈るもの、それが鰹のチチコ(心臓)。
命のやり取りで勝負している彼らは、自分達の家族を生かしてくれている鰹への尊敬を忘れない。おかでは家族が航海の無事を祈っている。 一竿ごとに、釣るものと釣られるものが魂を交わす。
船が港を出るのは夜。真っ黒な闇に包まれた海をひた走り猟場へと向かう。イワシなどの小魚を狙う鰹のナブラ(魚群)探しがはじまるのは夜明け頃だ。
双眼鏡を手にし、まずは、海の上を飛ぶかつお鳥の群れを探す。見渡す限りの大海原で 見つけだすのも熟練の漁師にしかできない技だ。
鰹のナブラを確認すると船はじっくりと慎重に近づき、ホースで水を撒く。これをすると 海面に叩きつけられる水しぶきによって、鰹はいきなり興奮状態に陥る。そこへすかさずイワシを撒き鰹の足を止めさせるのだ。
いきなりの散水で鰹は”何だ、何だ、何が起こっているんだ。おっイワシだイワシだ。”と、 ごまかされるのだから、たまったもんじゃないと思っているのかも知れないが、それも勝負の世界。 いよいよ一本釣りの開始、漁師と鰹との真剣勝負が開始される。
竿についている針にはカエシがない。
普通の釣りのように、一尾釣っては針をはずし、また竿を投げ入れるという作業では追いつかない。釣り上げた鰹は漁師の微妙な竿さばきで、空中で針がはずされる。鰹はそのまま空を飛び、船の甲板へと落ちてゆく。これを繰り返し、一気に鰹を釣り上げていく。
短い時間でどれだけの鰹と戦えるかが漁師の腕の見せ所だ。
来る日も来る日も漁群(ナブラ)を追って、船はひたはしる。一度に一万尾(約35トン)を水揚げする大漁もある。 その土産をもって男たちが帰りつくのは、言わずと知れた土佐の港だ。
当社パンフレットvol.41(2000/春版)より抜粋
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